「できるようになったこと」の連載4…自炊して生活する

2019年1月5日

2018年、人間の形を取り戻すうちにできるようになったことをひとつずつ書いていく連載その4です。

料理については今まで何回か書いてきています。

いかにして毎日のメシを錬成するか? – はとのいろいろ

毎日料理するのつらくない? – はとのいろいろ

基本スタンスはそんなに変わっていないと思うのですが、これではちょっと物足りないかなあとも今は思っています。

肉をケチるな

きっかけは9月の地震で物流が止まり、冷蔵が必要なもの(肉とか魚、要するに良質なタンパク質というやつです)が一時的に手に入らなくなったことです。

缶詰をためこんでいたので難なく乗り切った……と思ったのですが、そのころから運動もしていないのに筋肉痛みたいに両足が痛む。体がなんとなくだるい。といった症状に気づきました。

一度はそのころ飲み始めた薬の影響かと思ったのですが、薬をやめてもやっぱりだるい。再開してもそんなに変わらない。どうも無関係だ、と気づいたのであらためて別の原因を考えてみたところ、タンパク質不足ではないかと思ったのです。

タンパク質以外にもいろいろと不足している栄養素はあったのですが、昨日のブログに書いたせせこましい姉の影響もあり、長いことパック売りの鶏肉を1日に半分ずつちまちまと料理するような生活をしていました。別に節約のためではなく、それで十分だと思っていたのです。確かに「汁物のダシ」としてならそれで十分なのですが、1日に必要なタンパク質の量には全然届いていない。

いろいろ調べてみたり、食事管理アプリをつけてみたりした結果、私の食生活は慢性的に「足りていない」ことがわかりました。体重が60kgを超えているので、1日に60gくらいはタンパク質をとらないといけません。鶏むね肉100gでだいたいタンパク質20gだそうなので、今まで1日かけて(もっとすると2日に分けて)食べていた肉を1食でとり、それを毎日3食続けるのが良い。はず。

とりあえず肉を半分ずつ調理するのはやめました。わりと冷蔵庫の中でやばい感じになっていることも多かったので、残してもあんまり良くないだろうし。それから「良質なタンパク質」ではないのですが(良質という言葉で誤解を招きがちですが、体にいいとかそういうことではなく「アミノ酸スコアが完全」という意味です)豆腐や納豆などの豆製品、チーズとかの乳製品もなるべくとるようにしています。

今も不摂生が続くとじんわり体が痛みますが、ちゃんと食べているうちはわりとマシです。粗末なめしを食っていたころ、食後1時間くらいで急激に腹が減ってくるのに困っていたのですが、きちんと肉を食うようにしたら治りました。血糖値の急上昇と急降下による空腹感らしいです。

「とりあえずなんか食ってればOK」ではなくなってきたのは年のせいもあるかなあと思っています。まだ若いと言われ続けていますが、生まれてからそろそろ28年になるのは事実です。20歳そこそこのときの生活はボロボロでした。ひとより早めにガタが来てもおかしくないし、別にひとより早くガタが来ているわけでもない、と思います。30近くなれば体をいたわる必要が出てくるのです。それは特別な体験を上乗せするのではなくて、生活の基盤を固めてやらねばならないということです。早めに寝て午前中に光を浴びて活動するとか、バランス良く必要な栄養素を毎日とるとか、そういうことです。

単発で料理すること、継続して自炊すること

料理をしたことがあるひとならわかると思いますが、一般に売られている食材の最小単位は、一食分ではありません。

つまり、買い物して料理をすると、必ず大量に余り食材が出るようになっています。

これが自炊のハードルだよなあと思うのですが、毎日手を変え品を変え、今ある食材で何ができるか考え、足りないものがあれば買い足し、それがまた余り、というサイクルをうまく回していけなければ「自炊して生活」はできないのです。「料理ができる」ことと「継続して自炊ができる」ことの間には天と地ほども差があります。

私だってこんな面倒なことできればやりたくないし、たいして節約になるわけでもないし、洗い物も無限に発生するし、できればやりたくないんですよ!

でも、やらないと体が痛むとか、そういうはっきりしたデメリットが発生するようになってしまったので、しかたなくやっています。お薬のおかげでなんとかそこそこ回るようにはなってきたし。

先日この本を読みました。

ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室 | きこ書房

こういう自己啓発っぽい本、いつもはあまり読まないんですが、まあパッケージと翻訳がnot for meなだけで内容はかなり参考になります。

参考になるといっても日本で丸鶏をさばく日常は絶対にないし、鶏ガラでスープをとったところでそれが入る冷蔵庫を持ってるわけでもないです。

でもこの本が伝えたかったのはうわっつらのレシピじゃなくて、料理との向き合い方や「自分で食べるものに責任を持つ」みたいな考え方なんじゃないでしょうか。

できあいのものを過剰に忌避する考え方はアメリカならしょうがないかなって感じです。売ってるものの治安が悪そう(偏見)。そのへんは差し引いて、シンプルな食材をシンプルに調理すること、本物を自分の舌で確かめること、そのうえで食べるものを自分で選び取ること。そういうところが参考になります。

完成されたレシピや「ひとに自慢できる料理」を追い求めて疲れてしまったり、食材を無駄にしたりするよりは、自分に必要な食材を適切に調理して、自分の体を作るために食べる。

これもまた「自分を基準に考える」必要があるのかな、と思います。