もう生まれ以外ほとんど森茉莉

注文していた魔法瓶が届いてから延々と紅茶をのんでいます。

はじめは「魔法瓶の容量にあわせた大きいポットを買わなきゃな」と考えていたのですが、お湯を沸かしたヤカンにそのままティーバッグを2,3個放り込む方法に気づいてしまってからはダメでした。手持ちのヤカンがまたちょうど良くて、余熱にちょっとお湯を分けてやるとちょうど魔法瓶いっぱいに紅茶ができるぐあいのお湯が沸くのです。

それで夏にアイスティーを作るために買っておいたティーバッグを贅沢にぽいぽいヤカンに放り込んで、一日に2リットルくらいは紅茶をのんでいます。

前にも書いたように起きたらまずコーヒーとはちみつチーズトーストを食べます。そのあとさてどうしようかとなったときにとりあえずヤカンで紅茶をわかし魔法瓶に移して、デュラレックスの飴色のグラスと一緒にPCのところに持ってくるとなんだか本職のもの書きみたいな気持ちになって、なんだって書けそうな気がするのですが、実際にはPCでぼーっとTwitterを眺めながらずっと紅茶をのむだけなのです。

今日だって雨が降るっていうから洗濯をやめたのに、降ったような降らないような曖昧な天気で(それなら洗濯をやめたのは正解でしたが)夕方の暖かい色の光が窓の外の建物に反射しているのが見えます。そんな時間までただ紅茶をのんでボーッとしていたわけです。お昼も食べ損ねました。

こんなふうに書こう書こうと思いながらなんにも書けずに紅茶ばっかりのんでいるといよいよ自分が森茉莉だったんじゃないかという妄想がたくましくなります。もちろん私は森鴎外の膝で「お茉莉は上等」と撫で転がされて育ったわけではないので森茉莉ではないのですが、部屋の汚さ、自分の作った料理への執着、偏屈で好き嫌いのはっきりしたところ、森茉莉のエッセイを読んでいると自分のことを書かれているようで他人とは思えません。

昔は家族に借金をして啄木か太宰かというぐあいの破滅っぷりだったので、ずいぶんかわいらしいデカダンスになりました。でも森茉莉はきっとTwitterは嫌いでしょう。美しくない文章がいくらでも流れてきますから。

これを書くのに森茉莉のエッセイから引用しようと思って手持ちのエッセイ集をあたったのですが、記憶にあるくだりが見つからなくてただ読み返しただけになってしまいました。それでこんな森茉莉調の文章になっています。

明治生まれのお嬢様に、平成生まれの田舎娘が勝手に共感しているだけなのですが、森茉莉の「自分が好きなものだけを大切にする、世の中がなんだろうと知ったこっちゃない」というような姿勢がどうもぴったりくるのです。嫌いなものをけなすときにだって「自分が美しいと思うか」のほかにものさしはいりません。森茉莉のものさしで測ったら私は下品な田舎娘で大嫌いかもしれないので、お近づきになりたいとは思いませんが、ものさしの振るいかたはおおいに見習おうと思います。たぶんこうして著作を通じて一方的に共感しているくらいがちょうどいいんでしょう。

来週はもぐり込んでいる大学のゼミが祝日で休みなので、いまのうちにこそこそと読書を仕込んでおかなければいけません。毎週最近読んだ本の紹介をさせられるのです。わたしは森茉莉と同じで勉強はできるが読書は億劫なので、週に何冊も紹介できるような本を読んだりしません。今のところ図書館で本を借りて「いま読んでいます」でごまかしているつもりですが、もう無理が出ているでしょう。浅学非才の身のくせにとくとくと聞きかじった詩の一節などを口ずさんでみせるのだから恥ずかしいものです。それで人に褒められたりなんかするといっそう肩身が狭い。ほんとうに研究に打ち込んでいる人はよけいな口をきかないのです。読むほうが多くてしゃべるほうが少ないのが真に知的で賢い人に見えます。わたしは新しいものをほとんど読まずに昔覚えたうたを繰り返すだけなので調子っぱずれのインコの歌みたいなものです。

そう思うなら口を慎み読書に励めよと思うのですが、日ごろ引きこもってTwitterばかり眺めて暮らしているのでたまに人とおしゃべりできる機会があると舞い上がって余計な口ばかりぺらぺらときいてしまいます。それで昨日も恥ずかしくて死にそうになっていたところです。おとといはウイスキーの飲みすぎで二日酔いになってぐったりしていました。どうやら生きているとろくなことをしないようです。

私が卒業できなかった高校は田舎の古くさい高校で、地域のそこら中から勉強のできる愉快なバカが集まってバカをやっているところだったのですが、校訓のようなもので「持って生まれたものを深くさぐって強く引き出せる人になりなさい」と言い聞かせられました。偉い人や立派な人にはならなくていいから、自分の能力を生かして照らせる範囲に灯りをともす人になりなさい、というような校訓でした。今ふとそれを思い出しました。私も偉い人や立派な人にはなりたくもないし、すごいすごいと褒められるのだってむしゃくしゃしてたまらないのですが(あなただって自分の才能をきちんと伸ばせばいいのにと思う)、あのころのバカのまま自分の力で灯火をかかげ、それが誰かの足元を照らすことができたらいいなあなんて思います。

例えばこのダラダラした日記がいつか未来の少女の共感を呼び、「お近づきにはなりたくないけど考え方の参考にはなるな」と思ってもらえたなら、バカをやって暮らす甲斐もあるってものです。