自慢ですが貧困ひとり世帯です。
働いていたときも非課税世帯から抜けることはありませんでしたし、無職に戻ったのでまた年金と生活保護でギリギリの生活をしています。
いや、もうちょっと我慢したり切り詰めたりすれば少しずつ貯金とかできそうな額はもらっているのでは?となんとなく思う(が、計算できないので確証はない)のですが、我慢も節約もしたくないので毎月ギリギリです。
人の税金で生かしてもらっているくせになんというわがままを、と思う人も多いでしょう。
でも「もっとくれ」って言ってないんだからとりあえずその怒りはおさめてほしい。もっともらえるならもらっただけ使いますけど、今のところもらった分だけでどうにか貴族でいるので。
貴族です。わたしは貴族なのです。「こいつ頭おかしいな」とお思いでしょう。
でも、生まれや現在の環境にかかわらず「貴族の心で暮らす」ことができるのは、今の時代に生まれたわたしたちに与えられた恵みです。
現実に富豪はいても血筋で規定される貴族が(法律上は)存在せず、だれでも貴族を名乗ることができる世の中です。爵位がほしければシーランドから買えますし。
「貴族の心で暮らす」というのは、「お金がなくとも貧しい思いをしない」ということです。
花を飾りたければ花を買う。おいしいコーヒーがのみたければスーパーの安い豆で妥協せずに自家焙煎のコーヒー屋さんへ行く。「お金がないからこんなことは贅沢だ」と思わない、ということです。
もちろんお金がないのでどこかにしわ寄せは来ます。わたしはどんどん着られる服が少なくなってボロボロの下着や服を身につけています。でも、それは「まあいいかこれでも」と思えるからかまわないのです。
社会一般や見知らぬ他人の思うような「贅沢」を我慢して、「もっと他に使うべきところ」にお金を使うことはできるでしょう。そのほうがまともな生活に見えるかもしれません。
でも、「ああなんて貧しいんだろう、あれもできない、これもできない」と思い続けて過ごすのは貴族の心ではありません。
貧しくてできないことが多いから、それをバネにしてお金を稼ぐために奮起できるひともいるでしょう。でも、どうやら病気で規則正しく働けないらしいわたしは、お金がなくとも貴族の心で暮らすことにしたのです。
貴族は貧しさを理由にやりたいことをあきらめません。おのれの貧しさで苦しみません。
一時的に貧しい生活を我慢するだけなら、貴族の心がなくとも耐えられるでしょう。「ああ貧しいのはイヤだな、ちゃんと働いて貯金もしよう」と思い、実行できるなら貴族の心は必要ありません。
わたしはこの先どこまでお金のない生活を続けなければいけないかわからないので、貴族の心で安らかに過ごします。
貴族は後先を考えませんし、細かい金勘定は苦手です。来月ガス代が払えるかわかりませんが、貧しさを理由にめそめそしながら寒さに耐えるのは貴族ではないのでストーブをつけます。
「まともな生活」ができなくても、貴族の心でいられれば貧しさに苦しんでこれ以上病気を悪化させることもありません。
貴族の心でのんきに暮らして、破滅したらそのときはそのときでしょう。
今のわたしが心安らかに暮らすより大切な将来なんか存在しないのです。