日記です。
久しぶりに自分のチャートを眺め、トランジットをぐるぐる回していろいろ考えたので、書きとめておきます。
ASCとT木星のコンジャンクション=人生に3回の幸運期
と、短くまとめるとおおいに誤解を招く表現になってしまうのですが、幸運といっても「この時期はめちゃめちゃラッキー!なんでもうまくいって棚ぼたウハウハです!」という感じではありません。
アセンダントとトランジットの木星がコンジャンクションを起こす時期にあった出来事は、人生の重要な鍵となり、それを一心に追究することで良い道が開ける、というようなもので、どちらかというと「宿命を示唆するスタート地点」となる時期ではないか、とわたしは考えました。
「人生に3回」というのも、「自分の意思で今後の行動を決められるタイミングは、年齢を考えると10代後半〜50代くらいのあいだであろう。その間に、12年に1度木星がアセンダントに重なりにくる。おおむね3回はチャンスがある」という計算で、一生のうちにアセンダントと木星が重なるのは3回きりではありません。
はとさんの「3回」
わたしは1991年生まれなので、1999年のコンジャンクションはギリギリ対象外かもしれません。
そのあとは2011年、2023年(この前)、2035年ごろになるはずです。
我が身と社会にあったことを振り返ると、どうも暗い話ばかりのように思います。(そもそもわたしが生まれてからこっち暗い話しかない!)
まず、わたしが8歳のとき。1999年は世紀末だ世紀末だと人々は浮き足立っていて、かえって悲壮感がなかったような記憶があります。平成10年ですから、まさしく「平成ポップ」の世の中。街はかりそめの鮮やかさにあふれ、女児はデニムとラメとスケルトンに身を包み、コギャルは厚底で闊歩し、シール手帳のタイルシールやぷっくりシールの闇取引が日夜行われていました。
1999年のニュースをざっと眺めて、目についたのは東海村の臨界事故です。
つぎの2011年は、東日本大震災のとき。東北地方の原子力発電所が大きな被害を受けました。
2023年はもうあと3ヶ月くらいですが、まだ原子力絡みの悲惨な事故は起きていません。いまの時点で特筆すべきことがあるとしたら、処理水の放出が決まったことくらいでしょうか。中国との関係がきしんでいることは悲しいですが、原子力に人命が失われる事態になっていないことは少しほっとします。
わたしのアセンダントは正確性に疑問があるのですが、おおむね冥王星と150度になっています。つまり、アセンダントに木星が重なるとき、トランジットの木星が冥王星と150度になるのです。
冥王星は「いまだ人類の手に余るもの、果ての底知れない力」の象徴。原子力も冥王星の領域である、とされます。そこに「拡大・増幅」の木星が、ぎこちない150度を組むと、少し危ういきしみかたをするのかもしれません。
2011年は先述の通り東日本大震災がありました。わたしは大学2年生。ちょっと記憶があやふやなのですが、まだそこそこ元気だったころではないかと思います。すでにTwitterをはじめていて、震災のあとは祈るような気持ちでタイムラインを眺めていたのを思い出します。
記憶がないので記録に頼るしかないのですが、どうにかpixivに活動の履歴が残っていました。恥ずかしくても消すもんじゃないな。本格的にデジタルで絵を描き始めたのがこの年のようです。おそらく、ニコニコ動画で「太閤立志伝と遙か3のクロスオーバー動画」を見て遙かに再燃したためでしょう。遙か5も発売された年です。「みずからオタク活動・創作にのめりこむ」ころだった、といえるかもしれません。わりと元気そうでなによりです。
確かに2011年から2023年にかけての12年は、創作や「やりたいこと・つくること」を追い求め、究めてきた時期だったように思います。ひとりぐらしをはじめたころはレシピ頼りだった料理も、カンでおいしく作れるようになりました。絵も文もずいぶんうまくなりましたし、まったく書けなかった長編もプロットを立てて挑戦できるまでになっています。
それに反して体調は地獄のように底をさまよっていました。記憶があいまいなのも、23〜25歳ごろに死ぬんじゃないかという思いをしながら必死に息をし大量に処方された薬を飲み下していた期間があるせいです。なんとか立ち直り、精神もだいぶ安定したと自分では思っています。が、今後12年でまたこんなふうに底をさまようこともあるかもしれません。そのときは、またどうにでもできるさ、と希望を持っていようと思います。
2023年からの12年、どうしましょうか。
先述の通りわたしのアセンダントは正確性に疑問があるので、少し幅をとって2023年に起きたことを眺めてみます。
とにかく金に困っています。いまもです。
3月ごろから「にっちもさっちもいかねえ!もうおしめえだ!」を数ヶ月に一回繰り返して生きています。木星のおかげなのか、そのたびに不思議と手を差し伸べてもらい、どうにか七転八倒しながらアクロバットに切り抜けてはいるのですが(わかんない、切り抜けられてないかも)、「もうおしめえだ!」になる理由が一貫して「出勤ができない」ことなんですよね。
これはもう、出勤せずにどうにか生きていく道を探すほうにいくしかないのかもしれません。
以前も書いた覚えがありますが、わたしの出生図は天頂に海王星と天王星があり(カルミネートしているというほどタイトではないのですが)おそらく、既存の社会の仕組みに自分を合わせて生きていくことは無理です。
やりゃあなんだってできると思ってたけど、こんだけ頑張って無理なら意思より先に魂が嫌がってるんだと思う。
海王星は「意思の外のもの、あいまいなもの、陶酔」の象徴です。意思でどうにかしようと頑張ってきたけど海王星が強すぎる。たぶん。水星もよく見たらわりときっちりコンバストになっていたので、小賢しい真似は意味がなさそうです。宿命に身を任せよ。海に漂え。おまえはクラゲ。
古く中国では、世が乱れると流言飛語がとびかい、占い師やまじない師が幅をきかせる、といわれました。
わたしの3回は、どうやらそういう「世が乱れる」タイミングに来るような気がします。
おそらくそれは悪いことというか、わたしに不利なことではなく、「世が乱れるからこそ、わたしに活躍のチャンスが回ってくる」ということなのかもしれません。
「世が乱れる」ということは「これまでの世の中が壊れる」ことですが、それはつまり「新しい世界がはじまる」ことです。陰陽の理が乱れて混沌におちいると、それは世界のはじまりと同じ形に戻ったことになります。混沌を分かって新たな陰陽天地が生まれます。そういうときに、ひとはより原初の、混沌に属する力にすがろうとする。それで、きちんと理の敷かれているうちは鼻つまみ者の占い師やまじない師の出番がくるのです。
わたしにできることがあるならば、善き占い師であることでしょう。
占い師やまじない師はインチキもしほうだいです。それでも、おのれの振るう力とそれを求める人に誠実であり、学び続け、インチキはせずに人の助けとなる。自分にできることを尽くす。究極はそういうことになりそうです。