たいへんお久しぶりです。ようやく人間の形を取り戻しかけているので、近況報告的な話をします。
半年ほど人間の形を失っていた
実は7月の文学フリマ札幌のときにはもうだいぶ死にそうで、しかもそれがドン底じゃなかったんですよね。
もともと全然体調はよくなくて(あまり記憶にないですが、良かったはずがない)いろいろあって精神科の薬を大量に処方されていました。
そこから今通っているクリニックに転院したのが5月半ば。薬を大幅に減らしたり、あらためて検査を受けたり、診断がコロコロ変わったりして、今は新しい薬の効果が出ているのか驚くほど生活がしやすくなっています。
落ち着くまでは……全く……全く……!!!ダメ!!!でした!!!!!なんて言ったらいいのかわからん!そもそも記憶にないんだ!
幸いツイ廃なので日々何をしてたかはついったー見ればだいたいわかるのですが、6月はまるっと台所が死んでいたように思います。1ヶ月ほど流しに放置した洗い物と戦うのは骨が折れました。
すごく失礼な話をしますと、7月の文学フリマ札幌で差し入れをいただいたのですが(本当にありがとうございました)、それを食べようとして「毒が入ってれば死ねるのにな」って思うくらいでした。もちろん善意のかたまりのおいしいお菓子で、こうして生きているわけです。
7、8月をどうやり過ごしたのか本当に覚えていません。いったん発達障害の疑いをもとにコンサータを飲んでいて、全く文章が書けなくなりました。
今の薬を飲み始めたのが8月の末で、9月の末に突然ひとの発する音に耐えきれなくなってその場から逃げ出すというやらかしをしました。そこから薬が若干増えたり、生活環境を見直したりして、しだいに落ち着いて今に至ります。
自分の文章はまだ見失ったままですが、そういう原因だけではなく、ここ半年の自分を振り返っても適切な言葉が見つかりません。風呂に入ることも歯を磨くこともろくにできず、部屋は掃除のできる状態ではなく、自分が不潔であることに怯えていて、社会に存在していていいのだと思えませんでした。今も、別に思っていませんが。
生活できるということ
「しよう」と思ったことをそれなりにすぐできるようになった、というのが大きな変化です。
例えば「風呂に入らなきゃ」と思ってから、2〜3時間おふとんの上でついったーを眺めて過ごすのは当たり前のことでした。洗い物も、洗濯も、自分を維持するための行動については何もかもそうです。他のことも多少は先延ばしにしましたが、見栄っ張りなので他人が絡むと最終的には動きます。
今の薬を飲み始めてから、30分もぐずぐずすれば踏ん切りがつくようになりました。風呂に入る頻度も上がりました(いまだに毎日ではない)。繰り返し必要なことだけでなく、ずっとやろうと思っていてできなかったことをいくつも行動に移しました。
困ったことに、精神的な健康のために環境を整えるには、ある程度精神的な健康が必要なのです。
私はおそらく今の状態にそこそこ適した投薬を得て、また、いろいろなひとの助けを得る機会もあり、環境を整えて精神を安定させ、また環境を整える意欲を手にする、という好循環にはまることができました。でもこれはそう簡単な話ではありません。たぶん何か条件が欠けていたらいつ死んでもおかしくなかったと思います。
だから、こんなところまで落ちてこないことがいちばん重要です。落ちたら這い上がれる保証はない。
生活をなるべくおろそかにしないことです。丁寧に暮らす必要なんかないけれど、健康を損ねない程度に清潔な家を保てているか? 1日に1回は温かいものを口にしているか? 人前に出ることに怯えなくて済む程度に体を清潔にできているか? 私の最低ラインはこのへんかな、と思います。
最低ラインを割っている場合、自分の力不足を責めたところでどうにもなりません。なるべく早く助けを求めてください。なるべくたくさんのひとに助けを求めてください。人間はみんな偏っています。公的機関のひとや、生活支援を生業にしているひとも例外ではありません。フェアであろうと意識し、そのすべを学んだひとは積極的に頼るべきですが、相性が悪かったり、遠くにいてなかなか会えなかったらそのひとだけに頼ってもだめなのです。広く浅く依存することが自立だとよく言われます。なるべく多くのつながりを持っておくことは、ひとりでなんでもできるよりよっぽど大切なことです。
自分の生活を満足に行っているか、いつも自分に問いかけてください。立派なことや素敵なことをする必要はありません。自分がこれだけはほしいと思うものを自分に与えられているか気にかけてください。私の場合は、例えば体が痛くなったりだるくなったりしない程度に栄養のある、温かくて自分好みの味の食事をとり続けることです。残念ながら外食やできあいのものでは体が満足しないので、自分で作るしかありません。
自分では気づかないうちに不満をためこんで体調を崩すこともあります。私は掃除をする習慣がなく、部屋もずっと掃除のできる状態ではなかったのですが、ものを捨てたり収納を見直したりして床が見えるようになり、いったん掃除をしてみると、今までいかに非人間的な環境に暮らしていたか気づきました。
家がゴミ溜めではなく「何かができる」空間であることは、思った以上に大事です。本棚が本の墓場ではなく、簡単にアクセスして本が取り出せること。他の収納についてもそうです。まだまだ死蔵しているものも多いですが「持っているものを把握していて、使おうと思ったときに使える」ということは、精神の安定のひとつの基準になるかもしれません。
私をドン底から救ったもの2018
なんかごちゃごちゃ硬い文章書いてしまいました。
5月に転院するまで体調は低め安定でずっとドン底にいたわけでもないのですが、いろいろ乗り越えた気がする今、2018年の感謝をします!
たぶんこれをなんかで見つけてなかったら死んでたと思います。
私は正確な図面をすぐ出せなかったので、とりあえず部屋の状況を写真に撮ったり測れる場所の長さを測ったりして相談に行きました。無料ですし、無印の商品を買わなければいけないわけでもありません。
店舗限定で予約が必要なのでハードルは高めですが、一回きりではなく片付くまでちゃんと相談に乗ってくれます。ひとによってはありきたりなアドバイスに感じるかもしれませんが、部屋に人間性を取り戻すために必要なのは決まりきったアドバイスとそれを実践することです。
- 適切な治療
これだけ回復しておいてまだ適切かどうかいまいち自信がないのですが、動けるようになったことは本当にありがたかった。
8月末に今の薬を飲み始めたと書きましたが、実は9月頭に体の痛みを感じていったんやめています。今思えば地震があって生鮮品が一時的に手に入らなくなり、十分な栄養をとれなかったためだと思います。10月半ばに再開しているので、9月末のやらかしはちょうど薬の空白期間でそうとう精神が荒れていたんでしょう。
コンサータをやめたのは、朝起きる気力がなく飲めなくなったからです。たぶん何かしらの効果はあったんじゃないかと思いますが(ADHDの傾向がないとはいえないので)、週の半分も飲めないんじゃ処方されてても意味ないですからね。
今は統合失調症の診断を受けています。それで調子はよくなりましたが、診断がなんであれきっかけでしかなくて、動ける状態になったときになるべく環境を整えるように動いておいたことが結果をもたらしたのかなと思います。
- バレットジャーナル
「手作り手帳」のように思われていることもありますが、私の理解しているバレットジャーナルは「タスクを定期的に見直して整理するためのシステム」です。
やることリストのたぐいがまっっっったく続かなくて、3年前に設定した未完了のタスクリストが平然と出てくるくらいなのですが、バレットジャーナルはぼちぼちと続けています。たぶんいつ中断しても再開してもよくて、こりゃ無理だなと思ったタスクを消してもOKなので気負わずできるんだと思います。
バレットジャーナルについて詳しく解説するブログもたくさんあるので、是非「バレットジャーナル シンプル」とか「バレットジャーナル 基本」とかでぐぐってみてください。間違ってもオシャレ手帳の写真もりもりのインスタに行くんじゃないぞ。
3つしかひねり出せませんでした。まあちゃんと薬を飲み始めたのが10月半ばならまだ3ヶ月くらいだし「本当に必要なことを理解して継続する」ことが重要だとわかって、実践しはじめたばかりなのでこんなもんでしょう。
文章はまだまだ満足に書けていませんが、記録のためにももう少し頻繁にここを更新することにします。使いやすいエディタがあんまりないので、本当はWordpressかなんかに移行したいけどまだちょっと気力が足りない。
じたばたしているうちにいつの間にか年の瀬です。来年こそ人間になれますように。よいお年をお迎えください。